2009年4月1日水曜日

国際資本家と民族資本家、そして福田和也

一部の左翼の中に、
「小沢氏は資本家と手を結んだのだから、小沢は敵だ」
という考えが存在する。
彼らの論理ではそうなるのかもしれないが、
私は違うと考える。
NYを中心とする国際資本家と、それぞれの国にいる民族資本家は
分けて判断するべきだと思う。

世界を食い荒らす国際資本家と、その手先のハゲタカ人間たちが
敵なのに対して、土着の民族資本家たちは基本的には見方として
とらえるべきだと思う。
ただし、古いままの体質ではハゲタカ人間たちに負けてしまう。
土木や建設だけではなく、他の業種に転換したりしながら
新しい時代に生き残っていくように主張するべきだ。
それを理解できない企業は恐竜のように滅んでいくだろう。


話が変わるが、先週の週間文春に載っていた、
福田和也氏の小沢攻撃の文を読んで気になったことがある。
その中で、師である故 江藤淳とのエピソードを書いていたが、
読みながら思ったことがある。
江藤淳とは、晩年には西郷南洲についての文章を書いた、
アメリカ追随に批判的な方向に向かっていった文士だった。
しかし、その弟子である福田氏は、
05年の郵政総選挙のときも中途半端な態度をとったりして、
やっていることが正反対だ。

そして、最近のSPA誌での坪内祐三氏との対談でも、
昔、東京ロッカーズから初期ハードコア、ポジパンにかけて時代の
参加者、または目撃者であった事を自慢するだけで、
60年代に学生運動をやっていた事を鼻にかける、
一回り上の世代にやることが似てきた感じがする。
そもそも、パンクってそういう態度に対して
NOを突きつける存在ではなかったのか?
(少し違うが、ヒッピーやビートニクも本質の部分は同じ)


今週の日曜日、千葉県知事に森田健作氏が当選したニュースを
テレビで観ていて、11年前に公式には自殺とされた、
新井将敬氏(愛国者。出自は関係ない)
の奇妙な死のことを思い出した。